政治には関与したくないのに、安倍とお友達内閣は話題に事欠かないねェ。
『麻生氏は先月29日、東京都内で開かれたシンポジウムで、「憲法改正について「ドイツのワイマール憲法は、
ある日気がついたらナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうか」と発言し、内外から批判を浴びた。』
だ、そうだ。
株価が上がって、目先の金回りが良くなって喜んでいる人たちを除けば、
国家主義者が自我の弱い(自分のプライドを民族・国家に後支えしてもらわないと己が保てない)国民のナショナリズムをチョイチョイ煽って
人気を維持している政権からは、旧日本軍みたいな発言がいくら出て来ても別に驚きもしないし、
発言元が、「金がないなら刷ればいいじゃないか」と発言するような財務大臣だから、またかよいい加減にしてくれ、程度の反応ではあるのだが、
問題は、右傾化に暴走する政権を批判できる “個”が、国内に壊滅的に存在しなくなっていることだろう。
かつて、孤立無援になろうとも社会に対する少数派の論陣を構えることのできた文筆家たちもいまや殆ど他界して、
社会に対する影響力を持つような作家は文壇にほとんどいない。
(ほとんどは戦中世代で、ろくでもない上官に仲間を無駄死にさせられた経験を持っていて、ダメな司令官を持つ危険を痛感していた人たちだった。)
唯一の希望は、情報化社会になっったことで、日本国内の一閣僚の発言でも、あっという間に世界中に広まり、海外からの批判にさらされることだ。
国内の批判力が壊滅的に衰退しても、権力者が権力を思うままにふるうことは難しい状況になっている。
とはいうものの、「一身独立し、一国独立す」と唱えた福沢諭吉の精神からすれば、憲法がアメリカ製であるとかいう以前に、
自国の政治家の暴走も自国民でコントロールできない人々しかいない(精神状態の弱い個しかいない)ような社会であるならば、
たとえ憲法が自国製になろうとも、胸を張って国を誇れる状態には程遠い。
(人のことは言えないが、今回は自分のことは棚上げで書かせてもらった。)